2012年5月18日金曜日

パリのカフェ物語3 by Miruba


<Chapitre Ⅲ ミラーボール>

シャンゼリゼ大通りをちょっとはいったところに、コーヒーも出すダンスサロンがある。

 黒い縁の格子とガラスの壁面に黒い扉、見落としてしまいそうな看板だが、中はミラーボールがいくつもひかり、狭いフロアーは人で一杯だった。

 場所柄なのか、いかにも高級そうなスーツを着て蝶ネクタイの恰幅のいい紳士や、ブランドで身を固めた金髪のご婦人が軽やかに踊っていた。

 サルサの曲が流行り、若い人たちもたくさん踊っていた。フロアーの一角はバーカウンターがあり、バーテンダーはみなハンサムだった。

 綺麗にお化粧をして年齢を一つでも若くしたいご婦人の肩に手をやって、優しく微笑む年の離れた若いジゴロが、止まり木に半ば腰掛けるようにして寄りかかっている。

その隣には、モデルのように美しく若い女性が、葉巻をくゆらす年配の男性の頬にキスをしている。

半円形になったソファーが、フロアーを囲んでいくつも並んでいた。それさえ満杯で席に座れない人は、物欲しげでなくさりげなく、さりとて自己PRの笑みを絶やさず、踊る相手を探して、テーブルの周りを行き来している。


そこのサロンの指定の足型で踊る時は、全員参加をして、フロアーは笑いに満ちた。

私は、一緒に行った恋人と散々踊って汗をかき、席に戻る。扇子を取り出し、顔を扇ぐ。さっき注文したジントニックの氷が解けて生ぬるくなっていたけれど一気に飲み干した。

「まず~い」そう言って、彼と高揚した笑いを交わした。



溢れる音楽に、体は何時までもダンスを求めた。


「マダム、お一人ですか?この年寄りと踊ってはもらえませんかね」

その声に、私は「はっ」とした。



今まで見ていたのは、過去の幻想か? まだ氷も解けていないジントニックを、一気に飲み干したために、酔いが一度に回ったのだろうか。

一緒に頼んであったコーヒーを流し込んだ。

真っ黒のエクスプレス。

そのまずい苦さに顔を思わずしかめる。


アルゼンチンタンゴの切ない曲が耳に入ってきた。私は、優しそうなその年配の紳士に手を預け、立ち上がった。 踊る人が少ないから、狭いホールがやたら広く感じる。ミラーボールが、角の破けた皮のソファーを白々しく照らす。バンドがいた「お立ち台」も、ガランとして、間が抜けた空間になっていた。

十年ぶりにふらりと覗いてみたダンスサロンだった。

 受付の女性も、そのとき若かったバーテンダーも、踊っている紳士淑女も、タイムスリップをし・・・・そこにいた。

 時の流れの残酷を見た気がする。それはまるで、場末のダンスホールだった。


あの華やかな時代に毎晩踊り明かした恋人とほんの数時間前、別れたばかりだった私は、驚く紳士の肩を借りて、涙を流しながら時間の流れをステップにたどった。




Jane Birkin - Je t'aime moi non plus - 1969

 ♪「ジュテーム モワノンプリュ 」歌ジェーンバーキン

前歯がすきっぱで片言のフランス語が可愛い女性です。

題がまずセンセーショナルでした。本当は、「je t'aime,moi aussiジュテームモワオゥシー」という言い方なのです。フランス語の先生は認めませんでしたね。私は愛していない、と言ったとき、「Je ne T'aime pas ,moi non plus 愛していないわ、わたしもよ」といえるのですが。

私は愛しているといいながら、否定している。でも、これって、日本人ならその気持ちも言い方もなんとなくわかりますよね。

ジェーンバーキンの夫セルジュ・ゲンズブールの曲なのですが、彼はそれ以前にB.B.ブリジットバルドーと同じ曲を吹き込んでいました。退廃的だと、ヨーロッパ中で非難ごうごうだった曲ですが、でも、愛の歌ですからね、ひきつけられてしまうのです。




6 件のコメント:

  1. こんばんは、
    この曲をはじめて聴いたときはうんと若かったので、歌詞の内容がとても恥ずかしかったのですが、強がってわざと平気な顔押して
    「なんで、moi non plusなの?moi aussiでしょ!」なんて言ってたものです。

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  2. miruba5/20/2012

    kazkolineさん、いらして下さってありがとうございます。
    あなたのサイトで探しましたが、この歌は無い?といっても、歌詞らしい歌詞はなく、ほとんど「あ~~」「んはぁ~」じゃ^^訳しようがないか。あは。謳うに謳えませんよね^^

    >「なんで、moi non plusなの?moi aussiでしょ!」なんて言ってたものです。

    あはは、ですよね~~フランス語の先生がブツブツ言ってました^^
    コメントをありがとうございました。

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  3. 御美子5/21/2012

    行ったことのないヨーロッパの古きよき時代のダンスホールが
    目に見えるようでノスタルジーを感じました。

    ジョン・レノンとオノ・ヨーコも
    同様の曲(Wedding)を発表していたと記憶していましたが
    発表した年が同じ1969年というのも奇遇ですね。

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  4. miruba5/21/2012

    御美子さん、
    ご感想をありがとうございます。励みになります。
    このホールはいまもあるのですよ。
    初めて行ったのが、25年前、それはそれは華やかでした。
    これがヨーロッパの社交界なんだろうな~と思ったものです。

    ですが・・社交ダンスは日本でもそうですが、足型をうるさく言いますのですっかり若い人に嫌われてしまって、今ではマイナーなスポーツとなってしまいました。また、お金持ちの遊びもきっと多様化したのでしょう。ダンスで彼や彼女を探す必要が無くなったようです。

    このホールも、中はまったく同じでしたが、バーテンダーはカクテルなど造ったことの無いようなボーイでした。掃除も行き届いておらず、ガッカリしました。栄枯盛衰、何にでも訪れるときの流れですね。

    ただ、夜9時あたりから明け方まで開いている若い子達のサルサダンスホールになっています。それは賑やかです^^

    そう、つまり、私にとっての^^
    まさに、ノスタルジーそのものなのですね。

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  5. ダンスホールを声に出してみると、なんだか間が抜けたように聞こえるのは私だけだろうか
    そんな時代になったのですよね
    パリでも同じなんだなあ

    雰囲気が伝わってきて、面白く感じた
    これは、ダンスホールの経験があるからだろうか

    サルサに興じる若者たちといえば、思いだす
    やはり、大阪難波宗右衛門町のダンスホール「富士」でした
    過去形です

    大阪でもダンスホールの斜陽が見える直前でした
    「富士」でも若者たちの「ゴーゴーダンス」で満員でした
    社交ダンス組はゴーゴーの曲がかかるとフロアーを後にします

    その後は若者天下でした

    このようにして歴史はぬり替えられて行きました

    思いだします

    ありがとう

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    1. miruba5/22/2012

      キリンさん、いらしてくださってありがとう。

      >社交ダンス組はゴーゴーの曲がかかるとフロアーを後にします

      そうですね。パリでも昔はそうだったと思います。2時間社交ダンス2時間ロックンロールの曲という感じでした。同じフロアーで両方を楽しめるので、沢山の人でにぎわっていましたが、やはりシックな雰囲気を好む年配者にも、ジェネレーションの違いに邪魔されたくない若者との間にもずれが出てきたのでしょうか?

      今は早い時間昼過ぎから7時までが社交ダンス、9時ごろから夜中4時までが若い人たちのサルサパーティーやライブになっているようです。
      私自身はダンスホールはもうだめだな~と感じましたが、実際はダンスホールはまだ生きているのですね、その形を変えてですが^^

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